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ひきこもりの息子に対する責任と家族間の犯人探し

家族関係
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ひきこもるようになってすっかり様子が変わり、対応が難しくなった息子への対応で家族も疲労しました。

それでなくても私の家族関係は悪く、息子のことについても相談し合えるような環境にはありませんでした。

本来ならばできるだけ関わりたくない家族ですが、このことによって話をしないわけにはいきません。

やがて私達は「ひきこもりにさせた責任」について、不毛な犯人探しと責任のなすり合いでますます関係を悪化させていきました。

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人は緊張状態の継続に耐えられない

機能不全だった私の家族関係は、とてもバランスが悪く風通しの悪いものでした。

 

私は内心、息子を母に奪われたという恨みに近い気持ちを抱いていました。

それでも金銭だけを運ぶ役割に甘んじたのは、この状況に背中を向けて1人で親として生きていくには自信がなく、結局、私も自分勝手ながらこの方が楽だったのかもしれません。

私の両親と息子には3人の世界が出来上がっていて、そこには私が入り込む余地もなく、それも幸せならば私がいる必要はないと考えました。

息子のことに口を出せば必ず母と衝突し、その都度、母への憎しみが湧いて来ます。

それも苦しいので、できるだけ見ないようにしておこうとしました。

そんなアンバランスな家族に息子は、まるでひきこもることで反旗をひるがえすかのようでした。

家の中には常に緊張感が漂っていました。

いつ解決するのか、いつ終わるのかわからない緊張感は大きなストレスになります。

そして、人はそんなストレスに長くさらされることに耐えられるものではないのです。

それぞれの不満や不安は、家族同士、互いの不信感や嫌悪感という負の感情を大きく育てていきました。

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誰のせいでこうなったのか

とても受け入れられないような試練に対し、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、人は理由を探したがります。

そしてその現実が厳しいものであればあるほど、犯人探しをして自分の責任ではないと逃れたくなります。

原因を分析したり対策を練るということではないのです。

これは誰かのせいに違いない、誰のせいでこうなったのかという責任のなすり合いです。

誰かのせいであれば罪悪感も持たずにすみ、少なくとも気持ちは軽くなるのかもしれません。

私達は家族の中の犯人探しの方向に向かっていきました。

全てが家族の責任という主張

息子は、責任という言葉を私達に何度もぶつけました。

自分が不登校でひきこもりになったのはお前たちのせいだ、だから責任を取れと言うのです。

息子は、私の離婚、父や母の私に対する子育てなどを激しく責めて暴言を投げつけてきました。

「お前が考えもなく結婚やら離婚やらするからまともな家庭にならなかった」

「お前らが子育てに失敗したからお前らの娘は結婚に失敗した」

「お前たちの失敗のせいで自分が迷惑を被っている」

理屈が通ってないわけではないように思える部分もありますが、興奮がエスカレートし、最後には「○○家の先祖が」という家系図の話になっていくのです。

 

そして、一度そのようなことを言い始めると、まるで何かに取りつかれたかのように延々と暴言が続きます。

さらに償えという話になり、何千万を払えなどと言い出します。

普段は会話もしないひきこもりでも、思いついたように突然部屋から出てきては感情を爆発させ、その都度私達はオロオロしながら必死で言い訳や説得をしました。

今考えれば、あれは衝動的な症状のようでもあり、真に受けて同じ言い訳を繰り返すなど愚かな対応でしかありませんでした。

だけど当時はどう対応してよいかわかりませんでした。

罵られ、怒鳴られ続ける私達は、意味のない言い訳を繰り返すしかなかったのです。

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責任の押し付け合いと家族関係の悪化

家族全員が息子の責任追及への対応に疲弊しました。

両親はわかりませんが、私にしてみれば核心を突かれたような痛さもありました。

そして家庭内は常に暗く、関係はますます悪くなり、そもそもなぜこんな思いをしなければならないのかの責任のなすり合いが始まるのです。

母は私に「もうあの子の面倒は見れない。あんたの責任だから今すぐに引き取って」とたびたび言いました。

私はその言葉に、私の存在など無視して好きなように孫を抱え込んだくせに今更いらないとはなんだ、こうなったのはあなたの責任ではないのかと、言葉にはできない気持ちを抱きました。

父は常に母とセットですが、母よりも冷静であり、少なくともこの状況を動かすのは難しいと理解し、また我が孫を不憫に感じてもいたようです。

先が見えないストレスの中で私達家族はお互いへの不信感を募らせ、犯人探しでさらに消耗し、もう表面的に取り繕うこともできないくらいにこじれていました。

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まとめ

人は物事がうまくいかないと、誰の責任かという「責める対象」を探すのだそうです。

誰かを責めていれば自分を責めなくてすむからです。

責める心理は、本当は誰かを責めたいのではなくて苦しみを発散したいだけであり、家族を責めた息子も、犯人探しに躍起になった私達もまさにそうだったのです。

家族内での犯人探しは消耗するだけです。

それでも当時はそうする以外ないほどに家族全員が苦しかったと思います。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

 

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