息子は中学を卒業してから様子が変わっていき、自室ひきこもりから一転、極端に出歩くようになりました。
そして、その変化が初めての精神科入院へ繋がるきっかけになりました。
初回入院は、総合病院の中の精神科病棟だったので、閉鎖病棟も本人はそれほど抵抗することはありませんでした。
統合失調症という病名はこの入院時に告知されました。
徘徊と迷惑行為に対する家族の不安
息子は積極的に外を出歩くようになり、ひきこもりをしていた時とは全く別人でした。
でも本来の姿かと言えばそれは違ったと思います。
落ち着きがなく、本人も自分で何をしているのかわからないのではないかと思うような、徘徊とか放浪と呼ぶ方がふさわしいような出歩き方でした。
まるで何かに突き動かされているようで、それは躁状態という状態だったかもしれません。
中学のスクールカウンセラーから繋いでもらった病院の心理士の元には、不定期に私や母の付き添いの元に通いました。
嫌がることもなく、彼にとって心理士は特別で、リスペクトする存在だったようです。
中学時代のスクールカウンセラーとの関係が、彼の中ではそれほど良いものだったのでしょう。
でも、私は正直なところ、今の状態はもうカウンセリングという段階を超えていると感じていました。
思いつくままに前後の繋がりもなく高いテンションで喋るだけの息子と心理士の先生は何を話すことができるでしょう。
多分、心理士の先生も病状の進行には気づいていたと思います。
私は、何よりも息子が外でいろいろな年齢層の子供と距離を縮めたがることが心配でした。
その行動がいつ付きまといなどに発展するか、変質者のように見られていないか、何か迷惑をかけないか、ひきこもりの時よりも日々不安でした。
抗精神病薬の調整の難しさと副作用
すでにこの頃には複数の種類の薬が処方されていましたが、何を飲んでいたのかは明確に覚えていません。
病院にはカウンセリング目的で通っていたため、心理士は馴染みであっても受診日が不定期で、主治医の存在には私達も無頓着でした。
処方は、その都度、その日の精神科外来の担当医が対応してくれました。
ただ、ドグマチールという抗精神科薬を飲んでいたことと出歩き始めた時期が重なり、様子がおかしいのは薬のせいではないかとも考えたのです。
「まるで人格が変わったようになりおかしくなったのはこの薬のせいではないのか」と、医師に訴えたことがあります。
精神科の医師には、「ひきこもっているより出歩いてくれた方が良かったのでしょう?ひきこもりをどうにかしたかったのではないですか?」と返されました。
確かにひきこもっている時はそのように望んだかもしれません。
でも今の状態は決して「良くなった」わけではないです。
何だか医師にバカにされたように思えて、精神科医なんてまともに一家族の話など聞いてくれないのだと悔しかったことを覚えています。
私は、薬がもう少し減ったらちょうどよくなって、今度はよくなるのではないかと信じたかったのだと思います。
だけど振り返れば、この時の状態は、薬の効果が十分ではない、病状を抑えきれていない状態だったに違いありません。
4~5種類の処方だったと記憶していますが、これは気分が悪いとか嫌とか言って本人が拒否した薬もありました。
よく眠れるとか不安や焦りが消えるとか、そんな理由で飲ませていただけで、元々、本人は薬の必要性を感じていないのです。
そして私達も抗精神科薬をよく知っているわけではありません。
ネットなどで調べてみると、悪性症候群など重症の副作用なども気になり、拒否する薬をどうしてでも飲ませるなどはできませんでした。
息子が自分のベッドではなく、居間の床に寝転がって気を失ったように寝ている姿も頻繁でした。
まるでそのまま走り出すかのように、その場で足踏みをしているという奇妙な動作も目立ちました。
この足踏みは「アカシジア」という副作用だったのではないかと思っています。
閉鎖病棟への任意入院
基本的に精神科医は、入院という方向に積極的に進めてはくれません。
だけど、人に迷惑をかけているかもしれないこと、子供への付きまといが心配なことなどを話し、せめて少しでも入院して薬を調整してほしいということを医師に相談しました。
その病院は多くの診療科の中の一つに精神科もあり、精神科の入院病棟も一つ持っていました。
閉鎖病棟でしたが、「精神科に入院する」ということをあまり意識せずにすむ環境だったのは好都合でした。
後に息子は、本格的な精神科病院に入院することにもなりますが、この時はまだ、心療内科的な静かな雰囲気のこの病院でも十分受け入れてもらえました。
入院形態について、医師からは任意入院が望ましいと言われました。
つまり本人の同意を得る入院形態です。
説明は医師から本人にしてもらい、期間は1ヶ月という約束で任意入院することになりました。
統合失調症の告知
入院中の主治医も決まり、主治医から改めて病名と入院の治療計画などの説明を受けました。
この時に初めて、息子の病気は統合失調症であることを告知されます。
病名については、ずいぶん前から予測されていたものの、明確に告げられたのはこの時が初めてです。
はっきりと告げられたことはやはりショックでした。
統合失調症に完治はなく、コントロールできれば良い状態に緩解することはあるが、薬が効かないケースもあり、人格が変化し社会生活が難しくなる患者もいることを説明されました。
今後、息子ももしかしたら精神病院の入退院を繰り返すような生活になるかもしれないということも聞きました。
親の目から見てもすでに奇妙な言動ですが、人格が崩壊していくということが全く想像できず、「治らない」という言葉が重く悲しく響きました。
まとめ
統合失調症であること、今後も入退院を繰り返すような状態になるかもしれないこと、それが我が子の現実ということを受け止めるのは困難でした。
薬を飲ませれば、入院すれば、友達さえできれば、ふと正気に戻ることがあるかもしれない、治るかもしれないという希望は諦めきれません。
なぜうちの息子なのか?
そんなことを何度思ったかわかりません。
でも私の気持ちとは乖離したところで現実は想像を超えて進んでいくのです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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